AI vs教科書が読めない子どもたち

発刊当時かなり話題になった1冊です。
当時は読めなかったのですが、あれからAIの役割がさらに進んだ今の時代にこそ、言えることが多いのではないかと思い読みました。




AIに仕事はとられるのか

AIの発展がもたらす大きな弊害の一つに、既存の職業が大きく変容するということです。
オックスフォード大学所属のマイケル・A・オズボーン博士らが2014年に発表した論文『雇用の未来(The Future of Employment)』によると、20年後までに人類の仕事の約5割がAIないしは機械によって代替され、消滅するという内容が世の中に広まりました。

かくいう私自身も、この論文に大きな衝撃を受けた一人です。
私自身の職業は、幸か不幸かこのリストには入っていませんでしたが、AIが世の中を変えていくものになるということを大きく実感させられた出来事でした。

 

シンギュラリティは起こるのか

AIを語る上でよく引き合いに出されるのが、シンギュラリティという概念です。
みなさんも一度は聞いたことがあるのでは何でしょうか。

シンギュラリティとはAIが人類の知能を超える技術的特異点(転換点)や、AIがもたらす世界の変化を示す言葉未来学上の概念のこと。

レイ・カーツワイルによってシンギュラリティの概念が収穫加速の法則と結びつけられ、一般化された影響を受けて、現在では2045年に技術的特異点に到達するという説が最も有力とされています。

引用元 カオナビ人事用語集

これを見ると、AIが人間に取って代わるのではないか、さらに想像力豊かな人は、ターミネーターの世界がついに現実のものになるのではないかと思うかもしれません。

しかし、本書ではシンギュラリティについては懐疑的に書かれています。
そもそもAIは演算やビッグデータを扱ういわば計算機です。
しかし、文章の微妙なニュアンスを読み取ったり、感情の機微を読み取ったりするのは非常に苦手です。Google翻訳などを見てもわかるように、機械的な翻訳で、そこには感情の揺れ動きまでは入りません。

人間が勝てるのはこれらの部分ではないかと筆者は論じています。
つまり、これらの部分がある限りシンギュラリティは起こらないと断じている。

 

題名は少々大げさ

さて、本作は「AI vs教科書が読めない子どもたち」となっているが、本作を読み進めていて、この題名はいささか言い過ぎではないかと思った。
本書の後半部分では、子供達の読解力がいかに落ちているかという点について、様々な例題を挙げて述べられている。
本書の例題を見ると、「えっ!?こんなの間違うの!?」と思わず驚くものもある。

 

確かに、現在学力学習状況調査では、読解力の低下が声高に叫ばれているが、自分は今はそれが過渡期にあるのではないかと考えている。
3年前から始まった「GIGAスクール構想」によって、一人1台端末の導入により、学力における方向性が大きく変換しつつある。

なので読解力の低下は由々しき問題であることは確かだが、それが即そのままAIへの敗北につながるとは到底思えない。
人間にできて、AIにできない最たるものはコミュニケーションである。

コミュニケーションで未来を作る

私は、これからの子供たちが直面する社会には、今まで以上にコミュニケーション力が指標となると思う。
それは一対一のコミュニケーションではなく、他者を繋ぐ力だと思う。
それを高めるために、AIを介在させて、道具として上手に付き合える人間が、これからの社会に生き残れるのではないかなと感じます。

今までの疑問が氷解した部分もあれば、新たな気づきも多くありました。
そういった様々な観点から考えさせられる本書は、間違いなく名著の一つですね。

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